2015年2月5日木曜日

雪之丞さん。


本日2/4はHUMAN TAIL窪洋介の誕生日。



窪洋介を初めて観たのは20年以上前の目黒の鹿鳴館だった。

「お前と同じぐらいいきのいいローディーがいるぞ」(今考えるとなんだかよくわからない評価だが)と当時ローディーをしていたバンドのメンバーに連れられて入った会場ではライブ中。

曲は確かデッケネの「ホリディ・イン・カンボジア」を演奏中。
ボーカルがマイクスタンドを倒した瞬間袖から走って出てきたローディーは上半身は裸(当時のボディーは無地だった)でパンツ一丁だった。
「あれはできん…」
という敗北感が第一印象。

そのライブの打ち上げは歌舞伎町で。
終わって店を出たらメンバーと目の前に停車していた車の運転手とガンの飛ばし合い。
次の瞬間1人のメンバーが車のドアを開け落ちていた瓶で運転手の顔面をカチ割り流血。
揉み合いはだけた運転手の上半身のモンモンは血に染まる。
逆上した運転手は叫びながらトランクからゴルフクラブを取り出し振り回しながら追いかけてきたのは何故か側で見ていただけの俺と窪。
二人で地下鉄通路を逃げ回った。
幸い無傷だったが。

戻った運転手は我々の車のフロントガラスをゴルフクラブで粉々に割ったところでお縄。

派出所で取り調べを受け今思うとなんとも不思議だが示談。

朝焼け眩しい歌舞伎町をフロントガラスがバリバリに割れてなくなった車でバトルロッカーズを大音量で流しながら帰った。
あの朝焼けの歌舞伎町に響くセルナンバー8は一生忘れられないくらいになんだか爽快で輝いてたな。


その後お互いの先輩バンドの大阪ツアーの打ち上げで再会。
泥酔した窪が俺に「カジくん全然アツクねぇな!」って絡んできて頭にコップの麦酒をブチまけた。
「こ、この!」と言いかけた瞬間に「バカったれー!謝れカジに!」と強烈なビンタを食らわす窪の先輩ボーカル。

その後下っぱの俺たちはなぜか騒ぎの詫びとして刺身を盛っていたレコード盤ほどの大皿にその場の様々な酒を交ぜた劇薬みたいなのを一気させられた。
思えばこんなことばっかだった。

それから数年経ち。
REDЯUMを組む前の俺は一緒に上京してきたメンバーもみんな田舎に帰りメンバー探しをしていたがなかなかうまくいかない日々を過ごしていた。
そんな時に頭に浮かんだのが窪だった。
すぐに連絡を取り誘うも「ごめん俺今度BLOODY IMITATION SOCIETYってバンドでデビュー決まったんだよね。」と。

それから俺はREDЯUMを結成し、窪にもラップでライブに参加してもらったり、何より窪はREDЯUMのほとんどのライブに顔を出してくれた。

REDЯUMが終わり、窪が当時やっていたBAD FISHも解散し「そろそろ一緒にやろうか」と20年越しの結成となったHUMAN TAIL。

ノスケ(現・ノスケティック村長)もANOYO時代からだから付き合いは長い。
彼のなんだか変なギターがないと成立しないバンドだね。

HUMAN TAILは俺の頭の中だけで構想にあった「JOY DIVISIONをバックに唄うヘンリーロリンズ」というのは跡形もなくなかったが生まれてくる新曲はどれもヘンテコでかなりのオリジナリティーを自負している。

出し合うアイディアをほぼ100%「NO」と言わず即採用するところもHUMAN TAILのサウンドが出来上がる大きな要因かも。


窪の好きなとこは真面目で頑固なとこかな。
まぁぁぁ真面目な奴。

あとは酒に弱いとこ。
氷結350ml缶でヘベレケですよ。

風貌に騙されちゃいかん。
人は見た目とは違うもんだ。


窪が産まれる前は両親は「雪之丞」と名付けるつもりだったらしい。

「窪雪之丞」
だったら面白かっただろうなぁ。

ちなみに余談だがギターの林慎之介ことノスケの両親は彼が産まれる前は夢(むー)が第1候補だったらしい。

「林夢」
面白いじゃないか。

余談ついでに未確認だが山形では知らない人はいないと言われる蝶名林友(ちょうなばやしとも)の両親の考えた第1候補は元(げん)

蝶名林友
蝶名林元

そんなに変わりはない!
既に蝶名林って姓だけで充分変わってる!


そんなわけで窪洋介おめでとう。
最高にアツクてナイスガイだ。
君は永遠に俺のイッコ下!


2001年くらいの俺と窪@渋谷の路上。


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