オイルまみれの毎日汚れたツラで
とぼけた夢見てる暇なんてなかった
窓のない部屋に少しでも風を
通すことにいつもカラ回り
Jiaen「TRUE」
今から25年くらい前、18歳の頃上京(今考えると土地的に惜しい!)し市川市本八幡の寮に住み西船橋のガソリンスタンドで夢も忘れるくらい朝から晩まで働いて辛くて泣いてたころこのアルバムの「TRUE」を自分に重ね合わせてよく泣いてた。
今日は生馬さんが亡くなってちょうど一年。
憧れや、ずっと聴いていたミュージシャン以外で幸い周りで親しくしている友人が亡くなった経験は今んとこない。
生馬さんは勝手な憧れだ。
福岡の片田舎で高校生時代に音楽雑誌でMADやZI:KILLが認める本格派バンド!と。
アルバムプロデューサーは佐久間さんで「BOΦWYの次はこいつらだ!」的なフレコミだった。
ビデオ「VOS」で観た瞬間から虜になった。
横須賀関係のエピソードはいろいろ全部はしょるが生馬さんが亡くなる一年前くらいにFacebookで繋がった。
でもメッセージのやりとりの中で行き違いがあり会った事もない憧れの生馬さんに俺はFacebookメッセージでキレられた。
こんな悲しい事はなかった。
20年以上大好きで聴いてきたミュージシャンにキレられる気持ち君にはわかるかい?
でもそこで引き下がる俺じゃぁない。
ちょうどタイミングいい事に近所の新高円寺LINERで生馬さんのライブがあった。
駆けつけて初めて観た生馬さんの歌声は素晴らしかった。
終演後ファンの方と談笑してる生馬に近づいて
「生馬さん、KAZIっす。すんませんでした!」と先日の非礼を詫びると
「OK!こんな出会い方もいいじゃん!」って握手してくれて俺は涙が出そうだった。
少なくとも俺は北九州の外れの限りなく大分県に近い母校でJiaen「RISE」を校内で流行らせた自負がある。
でも生馬さんにはその話はしなかった。
ARBの話はちょっとしたかな。
生馬さんは絶対凌さん好きだと思ったから。
で、やっぱり好きだったし影響を受けていた。
それからほどなく生馬さんがFacebookで癌で余命いくばくもないと発表した。
誕生日に送ったメッセージで
「カジくん、いつもナイスロックンロール、いつかやろーね!」
という返信がきた。
当時は天にも登るくらい嬉しかったし、「いつかやろーね!」が一緒にバンドやろーね!なのか一緒に対バンしよーね!なのか今になってはわからないけどどっちだっていい。
高校生の頃から胸アツくして焦がれたボーカリストの一瞬でも記憶に自分の存在が刻みこまれたんだから。
命は無くなっても言葉は、音楽はいつまでも残る。
17歳に初めて聴いてから、これから先もずっと聴き続けます。
いつか一緒にやりたかった!
生馬さん!
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